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大阪家庭裁判所 昭和53年(家)396号 審判

申立人 内田恵子

相手方 内田修

事件本人 内田美佐子

主文

申立人の本件各申立てをいずれも却下する。

理由

(申立ての趣旨)

1  相手方は申立人に対し、事件本人を引渡せ。

2  相手方は申立人に対し、事件本人の養育料として毎月金五万円を支払え。

(当事者の主張要旨)

1  申立人代理人の主張要旨

申立人と相手方は結婚後、事件本人美佐子が出生し、次に記すように申立人が事故に遭遇するまでは親子三人で仲睦じく暮してきたが、不幸にして昭和五〇年一一月二八日の深夜の事故により申立人が負傷し、一時は危篤状態で入院中、美佐子が申立人の知らぬ間に相手方の手によつて、相手方の親族である東忠一、同エイ子夫婦の許で育てられるようになつた。申立人は一時は重篤な状態であつたが、危機を脱し、退院後、現在では健康をとり戻し、愛児美佐子を自分の手で育てることに生き甲斐のすべてをかけ、精神的安定も得、将来の希望を見出して、美佐子を養育するための良好な環境づくりに全力をあげている。相手方は病院に勤務する医師であつて、終日自ら美佐子の養育に当たることは勤務上不可能である。美佐子は申立人の入院以来、前叙のように東方に預けられて養育されてきたが、相手方自身は美佐子と同居せず、その養育に携つていない。親権者がありながら、しかも親権者である母申立人が子を自分の手で育てることを熱望しているにも拘らず、親権者以外の者の手によつて育てられつつあることは、次第にものごころのつく美佐子にとつても、きわめて不自然であり、かつ教育上も好ましくない。したがつて、速かに美佐子を申立人の手に円満に返すべきである。

2  相手方代理人の主張要旨

(1)  本件子の引渡請求事件は家庭裁判所の審判事項に該当しない。

(2)  仮に審判事項に該当するとしても、子の引渡において、最後の判断基準が子の利益であることはいうまでもないところ、本件において美佐子の幸福を考えるとき、相手方の監護を排除して申立人の監護を認める理由がなく、申立人の本審判申立ては却下されるべきである。

(認定事実)

本件記録に編綴されている当庁調査官○○○○作成の調査報告書二通、同調査官○○○○作成の心理検査結果報告書、申立人代理人作成の上申書、申立人作成の上申書、相手方代理人作成の上申書、相手方作成の上申書、申立人及び相手方に対する各審問の結果、並びに本件調停及び和解期日にあらわれた一切の事情、本件と関連する当庁昭和五一年(家イ)第三九九八号夫婦関係調整調停事件、同昭和五二年(家イ)第二六五五号夫婦関係調整調停事件の各記録を総合すると、次のとおりの事実が認められる。

1  本審判に至る経緯

(1)  申立人(昭和二十年五月二四日生)と相手方(昭和一八年三月三一日生)は昭和四九年五月二日婚姻し、昭和五〇年四月二三日その間に事件本人長女美佐子をもうけた。親子三人は、申立人の母中原千恵子と共に、申立人現住所に住んでいたのであるが、昭和五〇年一一月二八日、申立人が過つて熱湯のたぎる湯船の中に転落して上半身に大熱傷を負い、救急車によつて病院にかつぎ込まれた。

(2)  申立人の熱傷は重症であり、重篤な状態であつた時期もあつたが、ようやく快方にむかい、昭和五一年三月退院して現住所に戻ることができた。申立人の前叙熱傷により、申立人及び相手方相談のうえ、事件本人美佐子の養育は相手方の伯母夫婦である東忠一、同エイ子夫婦に依頼し、美佐子は直ちに同人宅に預けられた。そして、申立人退院後も、美佐子は今日に至るまで東夫婦の許で監護養育されている。

(3)  申立人は前叙のように昭和五一年三月に退院したが、更に同年七月から一〇月まで再度入院し、手術をうけた結果、ようやく身体の機能は回復し、昭和五一年九月二二日付大阪大学医学部付属病院皮膚科医師○○○○作成の診断書によれば、「熱傷による肥厚性瘢痕及び拘縮の疾患により加療中であるが、育児には何ら支障のないことを証明する」旨の記載が存し、身体的面からの申立人の育児能力の存在に疑いを挾む余地はない。

(4)  ところで、申立人が上記のように熱傷により入院中に、相手方は申立人と生活を共にしていた申立人現住所を出て、大阪市○○区内のレジデンスに転居した。そして、申立人が第一回目の退院をして間もなく、申立人に対して離婚の申し入れをなし、申立人が退院して自宅に戻つてのちも、申立人住所に戻らず、今日まで別居状態が続いている。

(5)  これに対し、申立人は、当庁に対し、昭和五一年一一月一六日相手方及び美佐子との同居を求める夫婦関係調整調停の申立てをなした。(昭和五一年(家イ)第三九九八号)同事件は、前後四回調停が行われたが、相手方及び美佐子との同居を求める申立人の主張と、離婚を主張する相手方の主張とが対立して膠着状態となつたので、昭和五二年二月二三日の調停期日において、「一、双方は当分の間別居する。二、相手方は申立人に対し、昭和五二年二月以降上記別居期間中婚姻費用分担金として、毎月金五万円を毎翌月一〇日限り、○○銀行○○支店の申立人名義の総合口座に振込んで支払う。三、申立人は相手方に対し申立人住所に保管してある相手方所有の書籍について、相手方の希望があるときは、その都度送付することを約束する。」との調停が成立し、美佐子の養育の問題については別途解決することとし、申立人は上記調停成立の同日に本件申立てをなすにいたつたものである。

(6)  その後、本件については、調査官による事前調査を経たうえで、昭和五二年一〇月七日以降五回にわたり調停が行われたが、美佐子の引渡しを主張する申立人と、これを拒否する相手方との主張は平行線をたどつたため、昭和五三年二月八日調停不調となり、審判手続に移行した。なお、上記本件調査中である昭和五二年七月二二日、相手方から申立人に対し離婚を求める夫婦関係調整調停の申立てがなされている(昭和五二年(家イ)第二六五五号)が、同事件は本件の決着をみるまでは進行させないことで双方間に合意ができ、同事件については調停がなされないまま現在に至つている。本件が審判手続に移行して以後、当事者双方を審問し、かつ必要な調査を経たうえ、昭和五三年八月一〇日、同月二九日、九月一八日及び一〇月一七日の四回にわたり、当裁判所は職権により和解を勧告し、申立人と事件本人との面接交渉が円滑に実現するよう双方に勧めたが、結局その点についても合意に到らず、本審判に至つた。

2  当事者らの生活の現状

(1)  申立人

肩書住所地において、実母中原千恵子と二人で暮している。千恵子の亡夫中原稔は申立人の現住所において開業医をしていたものであるが、稔の死亡により廃業のやむなきに至つている。申立人と相手方との結婚当初、相手方がそのあとをつぐ暗黙の了解があつたようである。前叙のように、現住所は元医院であつた関係上、部屋数も多く(一階四・五畳四室、一〇畳一室、七・五畳のD・K一室、二階三畳、四・五畳、六畳各一室、六畳のサンルーム一室)、また周囲の環境においても格別問題とすべきところはない。申立人は熱傷による傷が癒えたのち○○○○の仕事を自宅で行い、委託販売をしている。ただし、それにより目ぼしい収入はみられない。実母千恵子には亡夫の残した貸家があり結局申立人及び千恵子は、現在、主として上記貸家からの家賃収入及び相手方から申立人に対する送金により、生活を樹てている。申立人千恵子とも、現在、健康状態に格別の問題はなく、両名ともに美佐子が帰るのを切望している。

(2)  相手方

相手方は、申立人が熱傷を負つた当時、申立人方住所において生活をしていたが、その後申立人との離婚の決意を固めて申立人方を出て前叙のように大阪市○○区内のレジデンスに移り、その後更に現住所に転居した。単身生活している。相手方は結婚当初大阪大学医学部付属病院○○○科の医師をしていたが、最近に至り同病院を辞職し、美佐子が現に監護養育されている東家に近い高石市○○町×-××-×××○○病院に勤務して現在に至つている。健康状態に格別問題はない。

(3)  事件本人

美佐子は前叙のように生後七か月目から三年余の間、肩書住所の東忠一方で、忠一及び同妻エイ子(以下単に東夫婦という。)のもとで監護養育されている。東エイ子は、相手方の亡母サトの実妹にあたる。東夫婦の間には、長女久美子(昭和三四年八月二五日生)、長男哲(同三七年一一月三日生)の二子があり、更に忠一の母キクが同居している。忠一は○○○○所に勤務し、月収は手取約二四万円位であり、生活に不安はない。現住居は二階建であり、一階は六畳二室、六畳のD・K、二階は六畳、五・五畳、三畳各一室で、美佐子は東夫婦と起居を共にしている。事件本人の成長は順調であり、東夫婦のもとで精神的にも安定した生活を営んでいる。東一家及び事件本人ともに健康状態に格別問題はない。なお、相手方は現住居に転居してからは、美佐子との接触も比較的よく行なつているようであるが、美佐子は、東夫婦に対し実父母と同様の感情を抱いているようである。

(判断)

1  相手方代理人は、本件のような、別居中の夫婦間の子の引渡請求は家庭裁判所の審判事項に該当しないと主張するので、まずその点につき判断する。

本件の如く、別居中の夫婦の間における子の引渡等の問題について、法は特段の規定をもうけていない。これは、夫婦及びその間の子の問題については、愛情と信義にもとづき夫婦において自主的に解決すべきものであり、国家がみだりに干渉すべきではないとの立場によるものと考えられる。しかしながら、夫婦の別居、生活費の不払い等様々な問題が現実に生ずることは避け難いところであり、そのような夫婦間の紛争のなかで、同居、協力、扶助の問題や婚姻費用分担の問題については、当事者間の協議が調わないときには、家庭裁判所が審判によりその内容を決することができるものとされている。(民法七五二条、七六〇条、家事審判法九条一項乙類一号、三号)このように家庭裁判所の審判事項とされているものは、同居等の問題にしても、婚姻費用分担の問題にしても、いずれも夫婦共同生活を維持していくうえでの根幹にかかわる問題であり、そのゆえに当事者間の協議が調わない場合には、窮極的には国家が後見的立場から結論を出すべきものとされていると考えるのが相当である。ところで、夫婦に未成熟子がある場合、未成熟子は夫婦の単なる付属物ではなく、夫婦とともに夫婦共同生活の本質的構成部分を形成する存在であるというべきであり、したがつて、未成熟子が誰と、どこで生活をするかという生活の場の問題や、未成熟子の生活費の問題は、いずれも夫婦共同生活を維持していくうえでの根幹にかかわる問題といわねばならない。そして、別居中の夫婦間の未成熟子の生活費の問題は民法七六六条、家事審判法九条一項乙類四号に規定する子の監護に関する処分の問題ではなく、民法七六〇条、家事審判法九条一項乙類三号の婚姻費用分担の問題として考えるべきであり、かつそれが現在の実務上の取扱いの大勢でもある。それと同様に、別居中の夫婦間の未成熟子の生活の場の決定の問題もまた、前叙子の監護に関する処分の問題としてではなく、民法七五二条、家事審判法九条一項乙類一号の夫婦間の協力扶助に関する処分の問題として考えるべきである。けだし、別居中の夫婦間の未成熟子の生活の場の決定の問題を、子の監護に関する処分の問題として考えることは、子の監護に関する処分が離婚した夫婦間の問題を対象としているがゆえに妥当でない。のみならず、夫婦が別居している場合、その間の未成熟子の生活は、通常の場合、夫婦のいずれかのもとにおいてなされざるをえないが、いずれのもとにおいて生活をさせるべきかという問題は、未成熟子が前叙のように夫婦共同生活の本質的構成部分を形成する以上、夫婦の協力扶助義務の重要な内容をなしているというべきであるからである。そして、別居中の夫婦間において、その間の未成熟子の生活の場につき協議が調わないときには、協力扶助の一態様として、その子を自己のもとに引渡すべきことを要求し、または相手に対して引取るよう要求しうるものと解すべきである。したがつて、別居中の夫婦間の子の引渡の問題は民法七五二条、家事審判法九条一項乙類一号に規定する夫婦間の協力扶助に関する処分の問題であり、家事審判事項であると解するを相当とする。これと異なる相手方代理人の主張は採用できない。そして、夫婦が子を養育するに際しては、子の健全な成長を第一義として協力扶助すべきであることはいうまでもないところであるから、前叙別居中の夫婦間の協力扶助の一態様としての子の引渡または引取請求の当否の判断にあたつては、子の健全な成長をもつてその基準とすべきものである。

2  そこで、叙上の見地に立つて、以下に本件子の引渡請求の当否について判断する。

事件本人美佐子が東夫婦の監護に委ねられるに至つた契機となつたのは、申立人の熱傷という不幸な出来事である。そして、前叙認定のように美佐子は昭和五〇年一一月二九日以降現在にいたるまでの三年余、東夫婦のもとで監護養育されている。

ところで、申立人が熱傷により入院治療をうけ、昭和五一年三月に退院したのち、相手方が申立人に対し離婚の申し入れをしたことは前叙認定のとおりであり、現在にいたるまで別居していることもまた既述のところである。そして、別居期間中、双方間において同居するか否かの話し合いがなされ、また事件本人の引渡しが申立人から相手方に要求されたことがあるが、相手方はそのいずれの要求をも拒んでいる。離婚を主張する相手方の理由の当否に対する判断は措き、美佐子の引渡を拒む相手方の理由をみると、その理由として、相手方は申立人が美佐子に対して十分な愛情を注いできたか否か、母親として十分な配慮をめぐらしうる能力があるか否か等について疑いを持たざるをえないと述べ、その根拠をるる述べるが、当裁判所は、そのような相手方の挙示する疑点はいささか誇張にすぎ、軽々に賛同しえない。申立人の美佐子に対する親としての愛情には疑う余地がないものと考えられ、また、母親として相手方が云々する程の欠点を有しているとは考えられない。

しかし、子の引渡請求事件の判断においては、親の子に対する愛情が重要な要素であることはいうまでもないが、それがすべてではなく、諸般の事情を考慮し、子の健全な成長にとつていかなる状況を保持すべきかを考えなければならない。本件において、引渡請求の対象となつている美佐子は現在三歳八ヵ月であるが、このような時期の子の健全な成長にとり最も必要なことは物質的にも精神的にも安定した環境を保証してやることであり、急激な環境の変動はできる限り避けねばならないものというべきである。本件においては、美佐子は、東夫婦のもとにおいて物質的にも精神的にも安定した生活を営んでおり、そのような環境を急激に変動させることは、美佐子の健全な成長にとつて悪影響を与えるのではないかということが最も危惧されるところである。確かに、申立人の主張するように、子は実親のもとにおいて成長するのが望ましいことはいうまでもないところであるが、本件においては、申立人の熱傷という事故によりそれが不可能となり、東夫婦のもとに美佐子の監護養育が委ねられたものであり、かつ同夫婦の適切な配慮のもとで美佐子は順調な成長を遂げているのである。そのような経緯を無視して、前叙のような申立人の一般論をそのまま採用することは、子の健全な成長に対する慎重な配慮を欠くものといわねばならない。そして、現実には、美佐子は東夫婦に対して父母としての像を抱いており、申立人に対して母としての感情を有していないことが窺知できる。このような事情のもとで、美佐子を申立人のもとに移すことは、いたずらに美佐子を混乱におとしいれるだけであり、そのことによる美佐子に対する悪影響を無視するわけにはいかない。したがつて、美佐子の健全な成長を第一義として考える限り、申立人の親としての愛情は当面間接的な形で満足させる外はないものと思料される。

叙上のような見地から、当裁判所は相手方及び東夫婦、特に現実に美佐子を監護している東エイ子に対し、申立人と美佐子との円滑な面接交渉を保証することにより、ゆるやかな形で親子としての接触を繰り返すよう、説得を重ねたのであるが、相手方及び東エイ子の申立人に対する不信感と、昭和五三年九月一八日の期日に、当庁内において、申立人が東エイ子の両手をつかみ、激昂して同女に対し罵詈雑言を浴びせ、当裁判所の制止によりようやく事態が収つたということがあつて、東エイ子は申立人に対してますます不信感を強め、円滑な面接交渉は到底望みえない状況にたち至つたことから、結局当裁判所は上記説得を断念し、本審判に至つたものである。そのような経緯に鑑みると、当庁家庭裁判所調査官の指導ないしは助言により、面接交渉の実行を命ずることは、面接交渉が窮極的には当事者の自発的な意思により行われてはじめて子の健全な成長になるものと考えられることに照らすと、相当ではないというべきである。

叙上のような次第で、本件においては、申立人の美佐子に対する母としての想いのまことにやみ難いもののあることは十分に理解しうるところであるが、現時点において子の引渡請求を容認することは子の健全な成長にとり悪影響のあることが危惧され、したがつて子の健全な成長のためには、いま暫く母としての上記要求は譲歩されるべきであると判断される。もつとも、本件においては、申立人と相手方が同居するにいたれば問題は自然に解消するものであり、また仮に申立人と相手方とが離婚という事態にたちいたれば、その時点においては、親権者としていずれが適当であるかが判断されるのであり、いずれにしても本審判は夫婦の問題が決着をみるまでの暫定的な結論にすぎないものであることはいうまでもない。それゆえ、当事者双方において、まず双方間の夫婦共同生活の問題について可及的速かに決着をつけるべきであり、そのときに美佐子の最終的な処遇が決せられるのである。

3  なお、申立人は、子の引渡と合わせて、美佐子の養育費の請求も行つているが、この請求は申立人が美佐子の引渡をうけて同児を現に養育することを前提とした請求であるので、子の引渡請求を排斥する以上、養育費請求もまた失当であり、却下するほかない。(もつとも、夫婦間の未成熟子の生活費は、前叙のように婚姻費用分担の問題であり、本件養育費請求は当庁昭和五一年(家イ)第三九九八号夫婦関係調整調停事件において成立した調停条項中の相手方の婚姻費用分担金の増額請求と考えるべきものであるが、いずれにしても、該請求は申立人が美佐子の引渡をうけ、現実に養育することを前提とするものであることはかわりないので、特に請求の趣旨につき訂正等の措置を講じなかつた。)

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 出口治男)

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